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黒歴史 『オカッパだだん』 の続き

Bloody Nurses

血まみれナースも、ラインスタンプのあった初代。2代目悪夢学。と来て、ついに3代目になった。初代と比べると、本当に「絵」って感じになってきた。

私の絵はいつも「こうじゃない」「これじゃない」の連続だった。決定的な画力不足が表現力の限界を招いてしまい、自分達の頭の中のイメージが全然再現できない。でも、2016年の3期目にして、やっと「血まみれナース」のなんたるかを再現できるようになってきた気がする。

ドロドロしているのに可愛くて、不気味なのにお洒落でセクシー。モノトーンな世界に赤い色だけついている冷たい感じ。この絵柄で、悪夢学の続きを作りたかった。
ブラッディ―ナース
この蝶々の椅子に座るオカッパナースの絵は、独立した一枚の絵として、最も人気があった絵だった。でも、ここで作品としての絵と、アートを求める人々との関係について考える事になる。

アートってなに?いや、そうではなくて「売れるアート」って何?

人々がお金を払う価値を感じるアートって何?それは画力とかクオリティとか、表現力とか、そういうのではなくて、その絵にお金に換算するだけの価値があるかどうかなんだ。

とあるアートの巨匠が、「私の描く絵は何故かお金になる事に気付いた」と言っていた。だから人々がお金を出して買いたがる絵を描くんだそうだ。どんな絵だと値段が高くなるか?とか、私の絵はどこの人々がどんな絵を求めているのか?とか、そういった希望に応え続ける。それが売り物としての芸術を作る人間の生き方というものなんだと。

私達は何故、絵を描き続けるのか?何が目的で鍛錬しているのか?

小机いちごの絵は、小机いちごワールドが表現したいものを表現するためだけに存在する。だからそれ単体で売ったところで意味がないし。売れるものでもないのはよくわかった。

私達は人気を集める必要はないし、作品に値段をつける必要もない。とにかく小机いちごを表現できる基準まで表現力を高めて、とにかく腕を磨くのだよ。

たどり着いたと思ったら、まだ先があって、この辺で峠を越えたと思ったら、もっと高い山が、永遠に続く。
ブラッディ―ナース
とまあ。小机いちごワールドを再現するために描いた絵がこれだって言うんなら、小机いちごワールドってやつは相当変態的なワールドだなとか思うんだけれども、角まで生えてきちゃったし、いったいどこの方角を向いているんだろうか?私達は?って事をお話しておこうかな。

好きな世界観とか、参考にしている世界観はあるけど、具体的な作品名を出すの好きじゃない。せっかく見た事ない世界を描いていたのに、具体的な作品名が出てきてしまうと、急にその作品未満に思えて、その世界がちっちゃく思えてきてしまう。

なので、参考にしていたり、目標にしている具体的な作品名を出すのはやめておくよ。

その代わり、それとは関係ない、好きな映画の話をしようかな?

サムライミの「死霊のはらわた」
特に2013年にリメイクされたほうが好きです。
ブラッディ―ナース
アメリカンホラー映画といえばチェンソーとかに思い入れが深い人も多いと思うんだけど、それはナタとかカマとかみたいな武器のほうが印象的だったんだろうなと思うんだ。

武器で言うなら私はエルム街の悪夢でフレディ・クルーガーさんが付けていた特製の爪が好きでさ。カミソリにしろノコギリにしろ、断面が汚くなるようなものは好きじゃない。

縫い合わせた時に、縫い目は残っても、できるかぎり綺麗に元通りになるメスとか注射とかのほうが好きで、小型の電気ノコギリとか、ドリルとか、医療用の道具のほうが好きだ。

なんでかっていうと、そこにはお医者様の優しさがあるからだと思うんだ。
Blooy Nurses

ジャギジャギした刃物で切られると、もうそこは破壊されて元に戻らないという絶望感がある。そういうの好きじゃない。
やっぱり皮膚はツルンと綺麗なほうが好きだよ。

ヒタッとした冷たい金属の感触は好き。痛くないように表面が丸くなるまでよく磨いて、ピカピカになったの好き。

ジェイソンみたいに無口な人は嫌い。やっぱりよく喋るフレディークルーガーさんのほうが好き。

フレディとジェイソンだったら、ジェイソンのほうを味方につけたほうがマシとかいう選択をされちゃうフレディさんの糞みたいに嫌われてるところがまたたまらなく好き。

あと、プレデターとエイリアンだったら話が通じそうなプレデターのほうを味方につけるとか言われちゃう、あのエイリアンの理不尽さもたまらなく好きなわけよ。

次の黒歴史は 『バニー鬱ガールズ』 へ続く

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